インターフェイス考2あの本のあのあたりを電書にも

編修する、企画を考える、結局のところすべては引用の織物ではないかと思う。で、そのもとになるのが、あの本のあのあたりってことなんだけど、どうもそれが電子書籍ではうまくいかない。これは僕だけではないのではないだろうか?
リアルな本の場合は、ごつい本とか、紙の感じとか、もちろん表紙も含めて思い出すヒントがまず多く、しかも前のあたりとか、大きな余白のあとの段落の最初とか、あの本のあのあたりが、勘違いも多いけれど、思い出せる。
このところ電書をたくさん読んでみて、断片は頭のどこかにあるんだけど、思い出せないことが多いことに驚く。そもそもiPadとiPhoneでは、1ページに表示されるされ方自体、違うし、タテで読むか、ヨコで読むかで1行あたりの文字数も違う。要するにページという概念が成立しない。あの本の○○ページでは特定できない。
記憶への残り方が違うような気がする。全文検索できるんだけど、それで見つかるのは特別なコトバとか、フレーズを覚えている場合だけ、あのあたりにイイこと書いてあったを見つけるのは、むしろタイヘン。
雑誌の場合、特にビジュアルを探す場合はさらなる悲劇。リアルな雑誌と違いパラパラしてないぶんだけ記憶が薄い、ビジュアルの流れが残っていないから、見つからない!

電書に背表紙を!

「あの本のあのあたり」を構成する、どの本ってことに関しては重さも厚さも大きさも紙も失ってしまうけれどまだ表紙がある。とはいえリアルな本棚ではきれいなみすず書房の本を電書で読んだとしたら、もしかすると著者名だけで、書名までは思い出せなくなるかも、「ごつい中井久夫の本、四六判じゃなかった」とリアルな本なら覚えているけど、そんな記憶は電書では持てないだろうし、できれば出版社を超えて背表紙を規格化していただきたい。○○ページなら、表紙の××%の背表紙とか。斜俯瞰とかの書影をマストにするとか。
もう一つのどのあたりってことについては、いろんなソフトを試してみたけど、どれもいま読んでいる場所を意識できないというか、させないようにつくられているように思う。どのアプリも簡単にどのあたりかを表示させることはできる。だが、リアルな本の場合は、ことさら意識しなくても読み進めているときに視覚的にも手の感覚的にもどのあたりかを把握している。だから、あとから、あのあたりという探し方ができる。
これもソフトとして解決できるはず。
 インターフェースが、読む・眺めるという体験をデザインするということだと考えると、現状は、電子化して失うものの方が多い。まだまだできると思うのだが、
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