終わる間際になってやっと国立新美術館でアンドレアス・グルスキー(ANDREAS GURSKY)を見た。
1955年1月15日生まれのドイツの写真家。知り合いのADから写真集を見せてもらったのが最初の出会い。でも、そのときは、昆虫写真みたいというか、顕微鏡写真みたいな風景写真という印象で、正直あんまりこなかった。かなり頓珍漢な受け答えをしてしまったような、恥ずかしい!
が、でっかいと違う。なんだか、すごかった。
何が気になっているのか、ちゃんとコトバになってないけどとりあえずメモ。
視覚を奪い覆うような3mを超えるサイズの写真の持っているチカラ。
そして、どこもかしこもピントがきている不気味な感じ
とはいえ、人の目だってパンフォーカス、すくなくとも脳内ではパンフォーカスをつくりだしている。顕微鏡をのぞいてフォーカスを少しづつ変えると、見えるものが変化する。
レンズというものはある一定の範囲にしかピントは合わない。だから、ピントを変えながら何枚も写真をとって合成することで、昆虫写真とか顕微鏡写真はできあがる。
これを大判?カメラでやるとグルスキーになるのかな?
目玉がかってにいろいろ動いて、脳内合成してるのが僕らの視覚で、そこにはボケあしのきれいな風景はない。ど近眼の僕がメガネをはずすと、世界全体がボケるのであってボケあしのきれいさはない。少なくとも僕には。ボケあしが見える人っているのかな? 写真の写真らしい表現、写真でしかない見え方ボケなんではないだろうか? そういう意味では見慣れている写真のほうが不自然?
でも、あのどこまでもピントがあって、パースが強調されている妙にリアルな世界はなんなんだろう?